史上最年長で2000本安打を達成した元中日ドラゴンズ・和田一浩が語る波乱万丈プロ野球人生

【日本プロ野球名球会チャンネル】球界を知り尽くしたレジェンドがバトンをつなぎ、選手たちの素顔や裏話など野球の魅力を配信します。今回は前回に引き続き和田一浩さんが出演し、プロ野球界に入った後のお話をします。


プロ入り後の人生

今回は前回に引き続き、元中日ドラゴンズ・和田一浩さんです。
前回は幼少期から大学野球までを紹介しました。
今回はプロ野球界に入った後からのエピソードを紹介していきます。

プロ入り後

大学時代、4年生で4番を務め活躍したこともあってプロ野球界から注目されていました。
そして、見事に1996年のドラフト会議で西武ライオンズに4位で指名され、
捕手として入団することが出来ました。
しかしながら、西武ライオンズには正捕手に伊藤勤さんや中嶋聰さんがいたため、
当時監督である東尾修さんから「バッティング生かすから外野手に行け」と言わましたが、
和田さんは「捕手やりたいです」と監督に直訴し、捕手を続けたそうです。
当時の和田さんは自分の実力を試したいという思いがあったそうです。
しかしながら、シーズン前のキャンプ練習で先輩方の捕手のレベルを目の当たりにし、自分とのギャップに歴然とした差を見せつけられたそうです。

守備転向~捕手としての機会がなくなる~

プロ入り後2~3年間は捕手をしていましたが、その後は一塁手や外野手として守備をするようになっていったそうです。
捕手として最後の試合に、投手は松坂大輔選手の捕手として守備を行った結果1試合3捕逸をしてしまい、その試合以降捕手としての機会を失いました。

捕手を断念、外野手へ

外野手へ転向後、5番のレギュラーを務め、打率.391、33本塁打という結果を残します。
外野手でブレイクした理由は、
最初のバッティングの師匠である土井正博さんに「オープンスタンスにしろ」と言われ
次のバッティングの師匠である金森栄治さんに「一つの事をやり続けろ」と言われ
開花したのが2002年の30歳のシーズンでした。
その後、FA移籍で西武ライオンズから夢であった中日ドラゴンズに移籍しました。

FA移籍で念願の中日ドラゴンズへ移籍しました。移籍した当時の年齢は36歳。
当時の監督は落合博満さん。
打撃技術を教えてもらい、今指導出来るのは落合さんに教わったものが大きいそうです。

2000本安打を達成

2000本安打を意識し始めた時、1500本安打した時に意識したそうです。
しかしながら、2000本安打達成直前で怪我をしてしまいます。
2014年シーズンに順当に行けば2000本安打を達成する予定でしたが、
残り14本のところで死球を受け右手首を骨折してしまいシーズンを終えてしまいました。
骨折をする前の月では月間MVPを獲得し好調だった状態での
和田一浩さんによると残り14本だったので焦りはなかったそうです。
あと100本くらいだったら焦っていたそうです。
そして次の年、42歳11ヶ月という史上最年長で2000本安打を達成することができました。

【和田一浩が語る】捕手引退と松坂大輔投手、そして落合博満監督との関係。

【 和田一浩 が語る 】 落合博満 監督 との関係。捕手引退直前の 松坂大輔 投手 との秘話 < 日本 プロ野球 名球会 >
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